4月だというのに先日はなんと大雪だったこと。(^_^;
標高1,150メートルの我が家周辺10センチ以上積もりましたねェ。
この時期の積雪、まれにあるんですよ、
なので冬用タイヤの替え次期、こうゆう日を予測するかどうかです。
今年はサッサと交換してしまい、全く身動きとれませんでした。
きれいに咲き誇った境内です。
さて、甲斐市双葉町光照寺で開催のお祭り、今年は4月7日。
この日は春風がそよぐ花見には絶好のお日和。
昨年に引き続き再び仏前でブルーグラスを歌ってしまいました。
ただし今回は2曲ほど津軽三味線パートをしこみ、
仏基友好の切っ掛けを探ってまいりました。
なぜ三味線があったのでしょうねぇ〜。(^_^)
津軽三味線、この構成で結構なインパクトです。
Clinch Mountain BackstepのソロとBj & Mdとの3連奏
そよいでいた春風は演奏になると桜吹雪をちらすほど強くなり、
まるで仏前でブルーグラスを歌うと
こんな試練が待っているのですぞ言わんばかりの如く。
Happy & Bluegrass
3.5トントラックの特設ステージはアルミのパネルの中で
風とともに音が行ったり来たり。
なるほど、こんなにも音の波がうごめくものかと。
来月も野外演奏を予定しています、良い経験になました。
そして怒濤の2次会へ・・。(^_^;
2019/04/15 14:49
|
Category:パフォーマンス中, メンバー日々
|
コメント
(1)
先日訪れた鹿教湯温泉の名所、
屋根のある橋
温泉ここ彼処に設置された案内札。
界隈を巡るのに便利。
先日学生時代の後輩が亡くなりました。
若い頃を過ごした場所へお別れに行ってきました。
いま人生63年です。
ブルーグラスを親しんだ出会いで、
共に楽しんだ仲間、あの人、あいつ、
そしてあのこ。
ほかの同級のみなさんとは交流があるので、
そのうち会えると思っていたのが、ついに叶わず。
別れの会に参列した仲間のひとりが言った
『私たちも、何時こうなるか分からないから、
今のうち、うんとみんなで楽しみましょう』
・・すごく心にしみ込んだ一言でした。
そうだな、楽しもう。
ブルーグラスをさらに楽しみたくなりました。
Yさんやすらかに。
心よりご冥福をお祈りします。
合掌。
※写真は今月訪れた信州鹿教湯温泉スナップから。
この人生が終わる朝、少しでも嬉しさがあるなら、
私は召される。
神の待つ天の岸辺の家まで、
私は召されるのだ。
ああ、私は天に召される。なんという喜びか。
私は召されるのだ、この朝に。
神をほめたたえつつ私が死すとき、
私は天に召されるのだ。
この人生の影が晴れたとき、
私は召される。
鳥のように私がこの牢獄の壁から羽ばたけば、
私は召されるのだ。
私たちが出会えたことはなんと嬉しく幸せだったことか、
私は召される。
すでに冷たい鉄の足かせははずれ、
私は召されるのだ。
辛い日々はもう少しだ、そしてその後、
私は召されるのだ。
永遠の喜びの国へ
私は召されるのだ。
I’ll Fly Fway(American hymn)
Some glad morning when this life is over,
I’ll fly away
To a home on God’s celestial shore,
I’ll fly away
I’ll fly away, Oh Glory
I’ll fly away(in the morning)
When I die, Hallelujah, by and by,
I’ll fly away
When the shadows of this life have gone,
I’ll fly away
Like a bird from this prison walls I’ll fly,
I’ll fly away
Oh how glad and happy when we meet,
I’ll fly away
No more cold iron shackles on my feet,
I’ll fly away
Just a few more weary days and then,
I’ll fly away
To a land where joy shall never end,
I’ll fly away
2019/03/25 15:24
|
Category:メンバー日々
|
コメント
(0)
1977年のC&W誌より
あーせいさんからの情報。
Banjoカトーがいみじくも清里・大泉周辺で
ブルーグラスの演奏活動を始めたのが、
1982年以降からだったかと思うので、
それまでの清里周辺のことは全くわからず。
その頃のこの辺りといえば幹線道路も整備されてなく、
そこいら中の道路も未舗装で、落葉松林と牧草地だらけ。
清泉寮周辺も牧草地に囲まれた木造旧舎ばかりで、
背景の八ヶ岳もあいまって
生前のポール・ラッシュ氏が散歩している資料写真を見ると
アパラチアン山脈麓の田園風景写真さながらでした。
レストランロックも掘っ立て小屋でした。(^_^;
そんなころ“清里グラス”という団体があった訳ですね。
たぶん“地元”のってのはシコミですね。
当時地元の牧場主などがどこからかバンドを呼んで、
仕立てたような話しを聴いた記憶があります。
「みんなで参加しよう」ってことは、
C&W誌読者に清里に行ってごらんってことですかね。
2019/03/23 10:33
|
Category:Banjo小話し
|
コメント
(1)