山梨県埋蔵文化センターが
「やまなし城・居跡めぐりのススメ」
(北杜・韮崎・甲斐・甲府編)というガイドマップを発行している。
その中から甲斐武田氏発展の地〈韮崎市〉
というコースを歩いてみた。
山梨の誇る大親分武田信玄公から遡ること九代、
時代は戦国の世と言われた安土桃山から平安末期へ。
甲斐の守に任じられた源義光から次代義清はさらに各地で勢力を張る。
そして四代目信義(のぶよし)は武田氏を名のり
この韮崎の地に展開し盤石の勢力となった。
その後室町時代の後期、武田信玄に受け継がれる事となるのです。
その初代武田氏を名のった信義の菩提寺とされる願成寺がスタートだ。
広い駐車場があるのでココに車を止めさせてもらう。
西へ1kmほど『武田信義館跡』が田んぼの中に、
今では立て替えた家や古くからの農家に囲まれた史跡の標柱と説明板だけだ。
集落を抜け南には南アルプスの北麓が広がる。
丘陵に立つ送電鉄柱の脇にひときわ枝振りの目立つ木が「わに塚の桜」
時期にはこれだけをみるために多くの人々が集まる。
田んぼの中に専用の駐車場まである韮崎の名所だ。
さらに山に向かって進み『武田八幡宮』を目指す。
『武田八幡宮』はここで武田信義が元服をしたので武田氏氏神として尊崇された。
またすぐ脇には源為朝(源頼朝の叔父)を祀った為朝神社があある。
信義が建立した神社であり、古来より疱瘡除けの神として
四方民の信仰が厚く遠近問わず賽する人達が絶えなかったという。
ここからわかりにくかったが白山城跡へ向かう。
獣除けの通電柵があるが扉は開くので先に進めた。
信義が戦いに備えた要害と伝わる城跡で、
本丸、二の丸棚や土塁や堅堀がよく残されていて、
当時が築城の跡がよくうかがい知れる。
反対側斜面を下ったところには白山神社がある。
ここも防獣電気柵があるが扉を開いて正面を下る。
あとは道なりに下り、駐車場へ向かう。
【オプションコース】
少し離れたは甘利八幡神社
武田信義の孫行忠が甘利性を名乗りこの辺りを支配していた。
以来武田勝頼の代まで譜代家老として仕えたが、
滅亡時に離反したとかしないとか
鎌倉八幡宮を勧請した甘利氏の氏神
大輪寺(甘利氏館跡)
室町後期の戦国時代の中、甘利氏を引き継ぐ甘利昌忠が
館跡に創建し甘利氏の菩提寺とした。
また領民にも広く開放し郷民に慕われ現在にまで甘利の名が残ることになる。
【おすすめ】
この辺りに来たら立ち寄りたいのが
「旭湯」と「そば処上小路」