11/21(土)は我々八ヶ岳Mt.Boysのホームであるパームスプリングでのライブ。
今回は甲府を中心に活動するシンガーソングライターMOYAさんとそのお仲間達を迎えてのジョイントでした。
前半MOYAさんの電子ピアノの弾き語り、
ベースDENさん、パーカッションのHITOさんに
3本のピアニカを操るHARUさんのユニット。
オリジナル加え「上を向いて歩こう」「情熱大陸のテーマ」などの
耳に覚えのある曲を取り混ぜ、
まるでリスナーの年齢層を読んでいたような選曲で
みなさん楽しんで聞き入っていました。
中でも「死んだ男の残したものは」では、誰の持ち歌?
・・で話しが盛り上がり、
リアルタイムだったはずのパーム鈴木でさえ思い出せず。
唱ったMOYAさん当人も誰とも言っていませんでした。
各自浅川マキだの加藤登紀子だの絞り出していましたが
とうとう最後までハッキリせず仕舞い。
因みに調べてみれば谷川俊太郎がベトナム戦争当時に書いた反戦歌、
最初に唱ったのはバリトン歌手の友竹正則。
倍賞千恵子、林美智子、石川セリ、高石友也、小室等、森山良子など多くのシンガーがカバーしています。
まあ、誰も覚えていなかったと言うことですね。
さて、後半我々八ヶ岳Mt.Boysでは、
ナリちゃんが初の英語歌詞でのリードボーカル。
そしてメンバー各自にMCが課せられたのでした。
かくしてBanjoカトーは
Bluegrassは男が女にフラれる話しと一度は捨てた故郷に戻る歌が多いけど、
日本でも女に振られちゃ故郷に帰る「フーテンの寅」という男の物語あり、
この大泉町も村時代、実は映画のロケ地になったという話しをしました。
町中を探索しロケ地を突き止めることが出来て嬉しかったという話しなのでした。
まあ折角なので、この行の裏付け説明をいたしておきましょう。
今から44年前、1971年の正月に公開された第8作『男はつらいよ 寅次郎恋歌』です。
物語の冒頭で寅さんは旅芸人一座と知り合います。
例によって柴又に舞い戻りマドンナへの片想いでカラマワリし、
挙げ句の果ての失恋から再び旅に出るところはいつものパターン。
そしてラストシーンの旅先で旅芸人一座と再会する場所が
当時の大泉村西井出の農家の前だったのです。
ここは大泉だと確信した一コマがこれ。
辻に立つ寅次郎と正面の山が甲斐駒ヶ岳、
見慣れた南アルプスの眺めでその構図は象徴的です。
寅さんの右肘の家と隣接の塚石越しの家が決めて。
現在の写真真ん中青い屋根の家と電柱右の防風林に囲まれた家です。
もう一コマは八ヶ岳をバックにのぼりの立つ農家が一目瞭然、
この時、野良仕事をしていた人に話しかけたら、その人が家主でビックリ。
最近改築して屋根の形が変わってしまったが、
あれは自分の家だと証言がとれた訳です。
今回のMOYAさんとのライブ、幅が広い話題でした。
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